「レフ・レハー」「ヴァイェラ」では、共にアブラハムの長男イシュマエルの誕生から経歴を語っている。
イシュマエルは今後の聖書のテーマ、ないし世界情勢とも深く関わってくるので、ここで無視するわけにはいかない。
トーラーのイシュマエル観
アラブ民族の祖先であるイシュマエル誕生について、トーラーはこう語る。
アブラハムはサラの願いを聞き入れ、ハガルを自分の側女とした。
こうしてハガルはアブラハムと関係を持ち身ごもったが、ハガルは自分の主人であるサラの事を侮るようになった。
サラが夫にその事に対して苦情を述べると、アブラハムはサラがハガルを自分の思うように扱っても構わないと許可した。それで、サラはハガルを苦しめるようになったので、ハガルは女主人の下から逃げた。
こうして、アブラハムが86歳の時にハガルはイシュマエル(「主は聞きいれる」)を産んだ。
それから14年後、サラ90歳にして、イサクを産んだ。
やがてイシュマエルはイサクをからかうようになり、サラはハガルとイシュマエルを追い出すように夫に懇願した。
アブラハムにとってそれは不快な事だったが、神がサラの懇願を聞き入れるように命じると、彼はハガルに食料を与えて去らせた。
神がハガルの目を開くと、彼女は井戸を見つけ生き延びる事ができた。
こうしてパランの荒野に住み、イシュマエルは弓を射る者となった。
世界をも動かす程の規模のバトルとなってしまった…。
先生も何年か前の説教で「アブラハム夫妻に、もう少し忍耐があれば、アラブの石油もおそらくイスラエルのものになっていたかもしれない。祝福は経済的にも目に見えたものとなっていたかもしれない」と言っていた。
確かにそうかもしれない。
もしかしたら、これも神のご計画のうちに入っていたのであろう。そうでないと、モーセもイエシュアも出現しなくてもすんなり祝福されていたのだろうか。
しかし、歴史に「If」はタブーなのである。
いずれにせよ、この女同士の確執がイスラエルとパレスチナ(アラブ)における中東戦争を理解する上で重要である。
クルアーンのイシュマエル観
では一方、イスラム教(イスラーム)でのイシュマエルの評価はどうか。
イシュマエルの子であるアドベエル(創世記25:13)が、イスラームではクライシュ族からでた預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(マホメット)の祖先ということになっている。
なのでイシュマエルはアブラハム同様、預言者につななる祖先として、かなり崇敬されている。
イスラーム教の聖典『クルアーン』によると、イブラーヒーム(アブラハム)はエジプトに滞在した後、現在のシナイ半島を通過し、そのまま紅海沿岸にしたがってヒジャーズ地方、つまりイスラム教の聖都メッカま でやって来て、カアバ神殿を再建したという。
カアバの場所は大洪水以来その場所がわからなくなっていたが、預言者イブラーヒームは神からカアバの場所を教えられた。そして、イブラーヒームは息子のイスマーイール(イシュマエル)とともにカアバを建設した、という(第2章「牝牛」125-127節)。その 後、カアバはイスマーイールの子孫であるアラビア人が信仰の中心とする神殿となったが、やがてイブラーヒーム親子の真正な一神教は忘れ去られて多神教の神 殿となったとされる。
(ウィキペディアより抜粋)先へ進む前に、カアバ神殿について少し書いておこう。
カアバは、メッカのマスジド・ハラームの中心部にある立方体の建造物で、その南東角にはイスラームの聖宝である黒石が要石として据えられている。
ムスリム(イスラム教徒)は毎日5回、このメッカにあるカアバの方角に向かって礼拝している。
アブラハムと側女ハガルの子であるイシュマエルが再建したとされているカアバ神殿の歴史は古い。
伝承によると、神がアーダム(アダム)とハウワー(イヴ)に命じて建設させたものであるという。しかし、ヌーフ(ノア)の時代に起きた大洪水によってこの神殿は長い年月の間失われていたとされている。つまり、イブラービーム(アブラハム)とイスマーイール(イシュマエル)は神に導かれこれを発見し、再建したというのだ。
なお、ハジャル(ハガル)とイスマーイール母子が荒野をさまよってるときに水を見つけたという井戸が、カアバの近くにあるザムザムの泉であるとされる。
いずれにしても、カアバ神殿そのものはムハマンドがイスラームを興す以前からメッカに存在していた。そこでは、クライシュ族が信仰する創世神アッラーフ(アラビア語で「神」という意味)の他、三位一体としても考えられている、女神たちも信仰されていた。
すなわち、アッラート(アッラーの女性形)、マナート(運命の女神)、アル・ウッザー(金星の女神)も重要な女神として信仰されていた。
日本語のウィキペディアにみられるようにアッラート、あるいはドイツ語のウィキペディアではマナートを月の女神とする説もある。
歴史家ヘロドトスは紀元前5世紀すでに、アッラートがアラブ社会においていかに重要かを述べており、ギリシアのアフロディーテ、ローマのヴィーナスと同一視するこ とが出来ると説明した。紀元前4世紀頃には、メッカにおける宗教文化がシリア、特にパルミラ地方にも知れ渡っていたことが分かっている。
ただし、わずかながらではあるが「アブラハムの宗教」と言われるような一神教の伝統も、古くからアラビア半島に確かに存在していたという、研究者の見解もある。
その一神教の伝統を知ってか知らぬか、6世紀、その女神達をムハンマドはカアバから一掃し、アッラーフのみを神とするという一神教を打ち立てたのである。
このようにクルアーンでは、イシュマエルとその息子達はアラビア半島北部ミディアン地方〜ヒジャーズ地方に定住したことになっており、アブラハムの祝福の後継者はイシュマエルとなっているのである。
現代アラブ民族の末裔
話をトーラーに戻そう。
尚、主はイシュマエルに対して母ハガルへこう述べている。
「やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。
彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので、人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」 (創世記16:11-12)
更にトーラーは語る。
「イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。 」(創世記25:18)
2つの聖句に共通している「敵対する」、これは自分に逆らうものはすべて敵であるというアラブの伝統的価値観に一致する。さらに「敵の敵は味方」という価値観もアラブ社会ではかなり根強い。
クルアーンでは「神の道のために奮闘することに務めよ(=ジハード)」と説いており、これは神の道を広め、イスラーム共同体を広げるというニュアンスで記載されているため、ムスリム以外に対してはどんな手段を使って「神の道を諭して、これに奮闘」しても構わないと解釈されている。
どことなく、今のアラブ人を垣間見ているような気がする。
しかし、だからと言え、すぐにアラブを邪険にするのはどうなのか。
見落としがちなのだが、主はイサク同様、イシュマエルも祝福しているのである。
「わたしは彼(イシュマエル)を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。」(創世記17:20)
これは重要な事である。
確かに十二人の首長の父となり(創世記25:13-16)、大いなる国民となった。
サウジアラビアを中心とするアラブ社会は国際的にも一定の地位を得ている。アラビア語は国連公用語の一つになっている程だ。
主の約束通り、確かに大いに子を増やし繁栄させ、大いなる国民になった。
ただイスラエル寄りの近視眼的視点から見たら、確かにアラブやイスラームは敵であり、欧米先進国を中心とし、厄介者あるいはテロリストと見なされている。
アラブ諸国が拳を上げているから、イスラエルをはじめとした国々が挙げ返しているような状況が、現在の中東情勢なのだからである。
しかし別の視点から見たら、霊的にアラブがサタンにコントロールされてしまってるだけであるともとれる。
もしかしたら主には何か計らいがあって、そのような状況にさせたとしか思えない節がある。
聖書を正しく知らないと、本当の事が見えない事があるのだ。
「息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼(アブラハム)を葬った」(創世記25:9)
この聖句通りにいつの日か、イスラエル(イサク)とアラブ(イシュマエル)が仲直りをし、共存することができますように。
主の御旨のままに。