神と人との間で…オオカミのつぶやき

ユダヤの魂を持った、クリスチャン

ヴァイェヒー

今週の朗読

パラーシャー:創世記 47:28-50:26
ハフタラ:列王記上2:1-12
ブリットハダシャ:ローマの信徒への手紙11:11-36
 
ヤコブはエジプトの国で17年間生きた。
ヤコブの生涯は147年であった(創世記47:28)
 
ヨセフと家族全員が和解し、一族総出でエジプトへ移住してきた。
今やエジプトの地で豊かに暮らしている。
何一つ不自由など無かったはずだ。
エジプトは故郷にあらず
しかし、ヤコブの最後の願いはというと
「どうか、わたしをこのエジプトには葬らないでくれ」(創世記47:29)
 
父ヤコブは、息子ヨセフにこの言葉を誓わせ、この最後の願いを実行することを約束させる。
 
おそらくエジプトの地に同化するのを恐れたのだろう。
そして何より、アブラハム伝来の契約がエジプト文明の中に埋もれてしまうことを懸念したのだろう。
 
当時のエジプトは文明、特に農業技術、ピラミッドや王家の谷といった建築、土木、工学面では世界のトップレベルだった。
 
ナイル川が毎年引き起こす川の増水により肥沃な農地となり、大麦や小麦が大量に収穫できる。
また、増水期は農地も水の下に埋まってしまって閑散期になるため、閑散期を利用して神殿や墓などの建築に従事する。
これが当時のエジプトの主な産業と技術である。
 
このエジプト社会に君臨していたのがファラオ*1と呼ばれる権力者であった。
あとエジプト社会を特色つけるのが「死者の書」に代表される、死後の世界を重視する宗教文化である。
 
死んだら権力者(特にファラオ)は蘇りオシリス*2になるという神話があるので、薬を塗り防腐処置を施し、ナイル川西岸に墓を作り、そこへ棺を納めるのが習慣となっていた。
ヤコブやヨセフも死んで、やはりエジプト式の方法で薬を塗られ防腐処置を施された。
(創世記50:2-3、50:26)
 
しかし、エジプトには葬らないで欲しいとのことだ。
これは息子ヨセフも同様であった。
「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」 (創世記50:25)
 
エジプトは農業が豊かで、工学面でも優れてるし、そういう意味では住みやすい土地だったであろう。
しかし宗教文化となると雲泥の差がある。
命を大切にした主の生きた契約と、現世を諦め来世願望の強いオシリス神中心の死への信仰とは相容れなかったのである。
 
主の約束からしたら、やはりオシリス信仰の強いエジプトは安住の地にはならなかった。
これはユダヤ人が2000年という長きに渡る離散においても、移住している国に何年住んでいようがユダヤ人はユダヤ人であり、その国の国民ではあるけれど、そのまま寄留していたことと同じなのである。
イスラエルにとってやはりエジプトは故郷にあらず、である。
ヤコブの祝福
またヤコブは死期が近づいたのを悟り、息子達に語った。
遺言とも言うべき「ヤコブの祝福」である。
 
これは、12人の息子達へ父からのメッセージであり、各息子達それぞれの性格を身近な動植物に例えて的確に掴んでいる
そして後年、彼らに起こりうることをも預言しているのである。
 
ここでは、要約だけをまとめておくことにする。
 
ルベン:長子、勢い、命の力の初穂、水のように奔放なので長子の権利を失う
 
(注解)伝統的ユダヤ教では「農夫」「恋茄子」がシンボルとなっている。
実際の長子ではあるが、性格は水の如しとあるので、包容力はあり、気位は高いが、どうも目先の享楽に流されやすい性格なのだろう。
 
シメオン:剣は暴力の道具、ヤコブの中で分け、イスラエルの間に散らす
 
(注解)そもそもは妹ディナがヒビ人の首長シケムに求婚され、求婚のやり方がレイプ紛いで「娼婦のように扱われた」と捉え、それが許せなかったので、報復を行ったとある(創世記34:25-31)
シメオンは潔癖症ではなかったかと思われる
 
レビ:シメオンに同じ
 
(注解)シメオンと同じなのだが、その潔癖さ故に、後にモーセやアロン以来、代々「祭司」としてイスラエルの宗教文化の担い手となっていく。
求婚方法が許せないと思うほど潔癖でないと、恐らく主の祭司は務まらない。
しかし安息日も休む事なく、主と民との取りなしを行うこととなった。
 
ユダ:獅子の子、兄弟達に讃えられる、王笏・統治の杖は足の間から離れない
やがてシロが現れ諸国の民は彼に従う
 
(注解)獅子(ライオン)は如何なる時においても物怖じしない。まさに王笏、統治の杖を持つに相応しい。
またライオンはネコ科であるので、ユダが芸術家肌であることを暗示している。
理屈より感覚、霊的な祈りが強い。祈るということはズバリ「讃える」・・・誉め讃え、声高らかに歌うことなのである。
芸術的なインスピレーションがあるからこそ、王として君臨でき、またメシアの要素があったのではないか。
 
イサカル:骨太のロバ、二つの革袋の間に身を伏せる、苦役の奴隷に身を落とす
 
(注解)ロバは物を運んでくれる穏やかな存在である。人のために働く事を美徳とするが、何でも引き受けてしまうので結果、奴隷のようになってしまうのかもしれない。
 
ぜブルン:海辺に住む、舟の出入りする港で境はシドンに及ぶ
 
(注解)伝統的ユダヤ教ではズバリ「舟」である。
外界に対する好奇心が強く、他の影響を受け容れやすいかもしれない。
 
ダン:道端の蛇、自分の民を裁く、馬の踵を噛むと乗り手は仰向けに落ちる
 
(注解)道端の蛇と比喩されている。頭がよく狡猾なんだけれど、狡いと言う事は、意外と優柔不断で弱いかもしれない。弱いと相手を威嚇するものである。
ヤコブの祈りが込められているのはそのためであろう。
 
ナフタリ:解き放たれた雌鹿、美しい子鹿を産む
 
(注解)雌の鹿に例えられている。誰にでも優しい穏やかな性格であるが、気分屋ではないかと思われる。兄ダンと同じ優柔不断な面があるかもしれない。
 
ガド:略奪者に襲われるが略奪者の踵を襲う
 
(注解)伝統的ユダヤ教では「天幕」、即ちテントであり幕屋を表す。
幕屋はグループが一致団結するのに必要不可欠であり、グループ全体を外敵から守る。
正義感が強く勇敢だが、同時に守りも強い性格である
 
アシェル:豊かな食物があり王の食卓に美味を添える
 
(注解)伝統的ユダヤ教では「オリーブ」であることから、潤滑油の如く、誰とでも仲良くでき、また調停役として重宝されそうである。
 
ヨセフ:泉の辺の実を結ぶ若木、天や地の淵や母の胎の祝福、永遠の山の祝福、永久の丘の賜物に勝る
これらの祝福が兄弟達から選ばれた者の頭にある
 
(注解)御言葉のように、地上においてありとあらゆる祝福がイスラエルの代表であるヨセフの頭上に注がれるとしている。
経済的祝福、地上的祝福を一手に担っているのが長子ヨセフである
そして彼には、それだけの祝福を活かすビジネスマンとしての実際的な手腕、才覚があることも表している。
 
ベニヤミン:噛み裂く狼、朝に獲物に食らいつき夕に獲物を分け合う
 
(注解)狼は好戦的であると同時に、思慮深い性格を表している
また異邦社会のあらゆる文化や風習、思想を吸収・昇華し、終わりの日に自分の物にしたそれらの「獲物」を持ち帰り、分け合うことであろう。
 
これらがイスラエルに与えられた祝福である。
 
特に王権を確約され芸術的才能を持つユダと、経済的恩恵を受け実務能力の高いヨセフが重要な祝福を受けているのがわかる。
ユダとヨセフはそれぞれ、南王朝と北王朝のリーダーでもあり、先生の言葉を拝借して言うと「南北の横綱」格なのである。
 
ヤコブ以降は12人の息子たちが祝福を継承する
イシュマエルのように祝福の亜流になったり、エサウのように影の部分(呪い)を受ける羽目になることは、今後決してない。
 
イスラエル12人の息子たちが基になって、世界は祝福に入ると主はヤコブに約束された。
これはアブラハムから続く契約に付加された形となっている。
 
イスラエルの兄弟たちが現在社会に回復し、一致団結をする日が来ますように。
 

*1:エジプト国での最高権力者の称号。他国の「王」に相当する。オシリス神やセト神といった神々の下、神権により支配した。新改訳・口語訳では「パロ」と訳されている。

*2:エジプト神話において農耕の神であり、冥界の王。古代エジプトの死生観では、死は新たな人生の始まりと考えられていたので、オシリスの復活をなぞることによって、ファラオもまた復活できると信じられていた。