神と人との間で…オオカミのつぶやき

ユダヤの魂を持った、クリスチャン

ヤコブの妻

ラバンには2人の娘がいた。長女がレア、次女がラケルだ。

姉妹そろって、ヤコブの妻となった。
経緯については前章「ヴァイェッツェー」でも述べた。
 
ところでヤコブと共にイスラエルの祖となったレアとラケルは、一体どのような女性だったのだろうか。

ヤコブの妻レア

トーラーにはこのように記されている。
レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく容姿が優れていた」(創世記29:17)
 
レアについて、口語訳で「目が弱かった」、新改訳では「目は弱々しかった」とある。
ヘブライ語原語では「柔らかい、潤んでいる、優しい」という意味もある。
目が弱かったというのは、おそらくレアは視力が弱かったのであろう。だから妹のように外で羊の群れを牧することをせず、天幕の中で仕事をしていたであろうと想像つく。
しかし「弱い」というニュアンスだと、よりラケルの美しい容姿と対比して強調してしまうので、それだけだとレアの全体像がどうしても見えてこない。
ここではレアという女性像を浮き彫りにするヒントとして解釈していこうと思っている。
 
レア(Leah 、ヘブライ語: לֵאָה 、Lēʼāh、レーアー)は旧約聖書『創世記』に登場する女性。父はラバン。妹ラケルともどもヤコブの妻となり、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ディナを産んだ。息子たちはイスラエル十二支族の祖となった。
名前はヘブライ語で「(徒労のあまり)疲労している者」を意味するが、Le ah と分離して「野生の雌牛」と解釈したり、アッカド語で「君主」あるいは「淑女」を表すカルデア系の名前とする説がある。
ウィキペディアより抜粋)
 
レアは父の意向により、姉が先に嫁ぐというハランの風習に従って結婚した(創世記29:26)
当時は恋愛結婚など稀で、政略結婚やお互いの家同士で結婚の取り決めを行っていたので、当時の常識から考えたらレアとの結婚は当たり前の結婚でもあったのだろう。
当然、レアもごく普通の結婚生活を期待していたに違いない。
 
しかしヤコブの本命は妹のラケル
ヤコブはレアよりラケルを愛した(創世記29:30)ので、レアの中では屈辱的な気持ちを何度も味わったのだろう。
しかし、いつかは私へ愛情を注いでくれると期待を持ちながら胸の奥底に沈めておいていたのかもしれない
レアの中で常に夫に対する期待と失望とを繰り返し、妹に対する嫉妬と劣等感を常に感じていたことは十分想像できる。
 
ところが「妻としての勤め」という点においては、レアの方が有利であった。
レアが夫に疎んじられたのを見ていた主がレアの胎を開かれたからである(創世記29:31-35、30:17-21)
 
その息子は全員で6名。そして娘1名。
  • 長男ルベン・・・「主はわたしの苦しみを顧みて(ラア)くださった。これからは夫もわたしを愛してくれるにちがいない」
  • 次男シメオン・・・「主はわたしが疎んじられていることを耳にされ(シャマ)、またこの子をも授けてくださった」
  • 三男レビ・・・「これからはきっと、夫はわたしに結び付いて(ラベ)くれるだろう。夫のために三人も男の子を産んだのだから」
  • 四男ユダ・・・「今度こそ主をほめたたえ(ヤダ)よう」
  • 九男(五男)イサカル・・・「わたしが召し使いを夫に与えたので、神はその報酬(サカル)をくださった」
  • 十男(六男)ゼブルン・・・「神がすばらしい贈り物をわたしにくださった。今度こそ、夫はわたしを尊敬してくれる(ザバル)でしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」
よく見るとレアは子供を産んだとき夫に希望を托し、そして子を授かった感謝を主へ述べている様子が垣間見える。
 
レアは妻の務めを行う毎日の中において、苦悩と嫉妬に明け暮れながら、心の奥底で常に神の前に心を注ぎだしていたのかもしれない。それが出産の瞬間に普段から心に思っている夫への愛情を求める女心と、主への気持ちが口走ったのだろう。
「優しい目」あるいは「柔らかい目」をしていたのだから、物静かで口数少ないが、もともと思いやりのある女性だったのかもしれない。
 
なお、父はレアに召使としてジルパをつけている(創世記29:24)
ラケルとの確執の中で、ラケルが自分の召使ビルハにより代理出産させた後、レアも自分が子を産まなくなったと知って、すぐに自分の召使ジルパを夫に側女として与えた(創世記30:9)
ジルパという女性についてはトーラーにはあまり情報がなく、集めた情報によると、以下の通り。
 
ジルパ(Zilpah、ヘブライ語:זִלְפָּה、Zilpâ)は、『旧約聖書』の創世記に登場する女性。ラバンがヤコブに与えた最初の妻レアについていた女奴隷である。名の意味は「没薬の滴り」もしくは「うなだれる」。
レアは後にジルパをそばめとしてヤコブに差し出し、ジルパはイスラエル12部族の一員、ガドとアシェルを産んだ。
 
当時のメソポタミアは戦争や略奪等で捕虜になった者やその娘などが奴隷になるのは当たり前の時代なので、もしかしたらアラム人とは限らず、メディア人やアッシリア人だったのかもしれないのだが、そんな確証はない。
 
ジルパは2名の子を授かった。
彼女が子を産んだとき、レアの発した言葉が以下の通り。
  • 七男(長男)ガド・・・「なんと幸運な(ガド)」
  • 八男(次男)アシェル・・・「なんと幸せなこと(アシェル)か。娘たちはわたしを幸せ者と言うにちがいない」
やはり、レアの言葉は希望に満ちている。
 
しかし、レアは夫ヤコブの愛情を受けることはなかった。
ラケルが亡くなってからも、今度は息子たちに苦しめられることになる。
 
ルベンが夫の妻ビルハと姦通し(創世記35:22)、娘ディナがヒビ人の領主の息子シケムに無理やりレイプされ(創世記34:2)、それの報復としてシメオンとレビがシケムの町の住民を皆殺しにし略奪した(創世記34:25-29)。
さらにユダが独立しカナンの女と結婚、長子エルと次男オナンをもうけるものの、レアにとっての孫を2人とも立て続けに失う(創世記38:1-10)
 
これらのことは結果論なので、トーラーではそれぞれ主の思惑も語っているのであろうが、一人の母であるレアの眼から見たら、子を通して受ける苦しみは言い表し難いものだったのだろう。
 
しかしこのような夫や妹、そして息子たちとの関わりの中にあって、主の御計画はレアの人生の中で静かに成就していたのである
そして、レアは夫のヤコブと共にヘブロンの地、マクベラにおいて、共に眠ることになる(創世記49:31)
これはなんとも皮肉である。
夫と常に結ばれたいという静かな願いが、生前叶うことはなかったが、ここで成就したのか。
 

ヤコブの妻ラケル

一方のラケルはヤコブに愛され、はじめから求婚をラバンに懇願していた(創世記29:18)
 
ラケルは容姿も優れてて、顔も美しかった。
しかも、視力の弱かったレアが外の仕事ができない分、羊飼いとして外の仕事をしていたラケルの方が快活だったのだろう(創世記29:9)
おそらく、その部分にヤコブは恋をしたんだと思う。
 
ラケル(Rachel、ヘブライ語:רחל、Rāḥēl、ラヘル)は旧約聖書『創世記』に登場する女性。ヤコブの妻で父はラバン、姉はレア。これは「雌羊」という意味を持つ名前であるようだ。一族の飢饉を救ったヨセフと、難産の末に産んだベニヤミンの母。
ちなみに中世フランスでは、トランプのダイヤのクイーンのモデルとされている。
(一部ウィキペディアより抜粋)
 
ラケルはおそらく容姿のことや、夫が本当に愛しているのは自分だという思いから、姉に対して優越感を持っていた。
しかし子を産むという「妻としての勤め」だけは、どうしても姉に勝てなかった。
 
そこでラケルは父につけてもらった召使ビルハを夫に与え、召使によって自分の子を授かろうと試みた。
ちなみにビルハについての情報は以下の通り。
トーラーにはルベンと寝たという記事のみで、やはりビルハもジルパ同様あまり情報がない。
 
ビルハ(Bilhah、ヘブライ語: בִּלְהָה、Bilhāh)は、『旧約聖書』の創世記に登場する女性。ラバンが娘ラケルに与えた女奴隷である。名はアラビア語の「バリハ」との関連で「単純」「無関心」の意味であると言われる。しかし一説では「優しい」という意味もあるらしい。イスラエル12部族の開祖ダンとナフタリの母である。
 
そしてビルハはラケルの試み通り、2人の子を授かった。
  • 五男(長男)ダン・・・「わたしの訴えを神は正しくお裁き(ディン)になり、わたしの願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」
  • 六男(次男)ナフタリ・・・「姉と死に物狂いの争いをして(ニフタル)、ついに勝った」
今、代理母によってではあるけれど、ようやく子を得ることができたという思いが、言葉にも出ている。
 
ヤコブファミリーがハランを出る直前、ラケルにもようやく子供が授かることとなる。
それが十一男(長男)ヨセフである。
「神がわたしの恥をすすいでくださった。主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように(ヨセフ)」
 
ラケルの場合レアとは違い、ややネガティブになりがちな自身の感情で名前をつけている感がする。
自分は夫に愛されているという安心感があるので、そこまで主を追い求める必要性もなかったのであろうが、妻の勤めでは姉には適わなかったために、ライバル心があったのかもしれない。
 
またラケルは父の守り神を盗んだとあり(創世記31:19)、しかもそれを父がそれを探しているのに、蔵の下に隠し持っていた(創世記31:34-35)
それほどまでに守り神に執着していたところからして、おそらくラケルは快活、やや感情的で繊細ではあるが、目先のスピリチュアルなものを信じやすい女性だったのかもしれない。
後にカナン地方に戻ったときに、一家全員ですべての神々の像を埋めたとあるので(創世記35:2)、その時にラバンの守り神も一緒に埋めたと思われる。
 
しかしその直後、エフラタ*1へ行く旅路にて難産の上に自らの命と引き換えに授かった子がヤコブの末息子、十二男(次男)ベニヤミンである。
最後の息を引き取ろうとするときに、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたとある。
 
その時、息子の出産を目の前にラケルは死を悟ったのか、今まさしく経験しているお産の苦しみと、生まれてくる我が子を抱くことはおろか見ることもできない母としての苦しみ、二重の意味を重ねて「苦しみの子」と言ったのであろう。その後、天へ召された。
ラケルの命はこの世から去ったが、入れ替わりでベニヤミンがこの世に命を受けた。
 
ラケルはエフラタの道の傍らに、家族から離れて葬られた。
ヤコブに一番愛されていたのにも関わらず、夫と離れて葬られるとは、これまた皮肉である。
もしかしたらラケルが主を知りながら、守り神に執着し過ぎていたのも一因あるかもしれない。主は偶像を忌み嫌うお方であるからだ。
 
ヤコブは、さすがにこの名前ではネガティブ過ぎるとでも思ったのだろう、ベニヤミン(幸いの子)と改氏名している。
十二人も息子がいる中で父が命名したのはたった一人、ベニヤミンだけである。
 

ヤコブファミリーの広がり

しかし考えたら、ラバンの娘に対する命名も不思議だ。自分の娘に動物の名前をつけるなんて、普通こんな名前つけんぞと思うような名前である。
 
レアとラケル、それぞれ意味は「雌牛」と「雌羊」であり、ラバンが娘を家畜と同様にしか見ていなかったのかと思ってしまう。
事実、ラバンは二人の娘たちを嫁がせることと引き換えにヤコブを計14年間の無償労働に拘束することに成功した。ラバンとしてはほくそ笑んでいたのかもしれないが、娘たちはこの父親の行為を決して忘れなかった
 
結婚して12年後、ヤコブが主の導きによりラバンの下から逃亡しようとしたときの、レアとラケルの気持ちに顕著に出ている。
 
ラケルとレアはヤコブに答えた。「父の家に、わたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」 (創世記31:14-16)
 
「他人と同じ」の部分、新改訳では「よそ者と見なされている」となっている。
やはり娘たちから見た父は、道具のようにしか扱わず、父が我が利益のために売ったのだ…という様にしか映っていなかったので、主の導きにより、すぐに出て行こうというヤコブの行為に賛成して、ラバンの下から逃亡して、カナンへ戻った。
 
現在社会でも、子供を自分の利益のために人身売買したり、売春を強要したりしている地域もある。
しかし古代社会だとむしろ、それが当たり前だったのかもしれない。
 
いずれにせよ、こうして姉妹の意地の張り合いに振り回されたヤコブだったが、二人の妻と二人の召使いから、息子12人と、少なくとも1人の娘を得たのである。
これが後に、息子12人が中心となって聖なる民イスラエルを形成していくこととなる。
 
だがしかし、レアとラケル姉妹間の確執は、やがて息子の代まで引き継がれることとなる。
ヤコブが最愛のラケルの子であり、年を取ってハランを出ようとする直前に産まれた子であるヨセフを他の子よりかわいがったことから、イスラエルの歴史が大きく動いていくことになるのである。

*1:現在のベツレヘム。ダビデ、特にイエシュアが生まれた町として世界中から巡礼の的となっている。