神と人との間で…オオカミのつぶやき

ユダヤの魂を持った、クリスチャン

ヴァイガッシュ

今週の朗読

パラーシャー:創世記 44:18-47:27
ハフタラ:エゼキエル書37:15-28
ブリットハダシャ:ローマ人への手紙11:11-36
 
近づくという意味を持つ「ヴァイガッシュ
いよいよ、ヨセフ物語第3段が始まった。
 
ヨセフが泣きながら家族と和解する、その瞬間である。 

ヨセフと家族の再会

突然ヨセフが兄たちと再会し、自分を隠しつつ、兄たちに無理難題を与えた。

兄たちはカナンへ帰り、事の次第を話すとヤコブはビックリ仰天。当然である。
しかもエジプトの宰相がベニヤミンとの面会を要求している。
 
ヤコブからしたら手元にいる息子は、既に独り立ちしている10人を除き、ヨセフ失踪以降、今やベニヤミンしかいない。
ヤコブがベニヤミンを手放したくない理由として、ヨセフのような悲劇が二度と起こらないように、ベニヤミンがヨセフの二の舞になってはいけないという気持ちが強かったように感じる。
 
やれやれ、兄たちの行為は父の心を頑なにさせてしまったようだ。
起こってしまったことは、もはや後戻りはできない。もちろん兄たちも罪の呵責があるのではあるが。
 
ルベンやユダの説得に負け、とうとう父が折れてベニヤミンをエジプトへ連れて行くことを許してしまう。
 
さて、エジプトに着いたヤコブの息子達一行。
 
ヨセフはベニヤミンを見るやいなや、弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったので、その場から席を外し、奥の部屋へ入って「泣いた」
(創世記43:30)
 
ヨセフから見て、おそらく2歳くらいまでの幼いベニヤミンの記憶しかない。
成長したのに感動したのと、同じ母ラケルから生まれた唯一の兄弟であり、ベニヤミンに母親の面影、似た部分を見たのだろう(創世記43:29)。
 
無事、兄シメオンも釈放され、御馳走まで振る舞われて、ヨセフからかなりの接待を受けた。
 
ところが、ヨセフは更に兄たちを試そうとする。
ベニヤミンの穀物の袋に自分の銀のコップを入れておいて、見つかった者がヨセフの奴隷になるという無理難題を出してきた(創世記44:1-13)。
 
これにはさすがに兄たちも驚いた。
まさか、父の一番大事なベニヤミンがエジプトで奴隷となるなんて…!
 
ヨセフの元へ引き返し、すぐにユダが他の兄たちより前に進み出て、交渉を始める。
 
「ああ、御主君様。何とぞお怒りにならず、僕の申し上げますことに耳を傾けてください。あなたはファラオに等しいお方でいらっしゃいますから。
(中略)
今わたしが、この子を一緒に連れずに、あなたさまの僕である父のところへ帰れば、父の魂はこの子の魂と堅く結ばれていますから、 この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。
実は、この僕が父にこの子の安全を保障して、『もしも、この子をあなたのもとに連れて帰らないようなことがあれば、わたしが父に対して生涯その罪を負い続けます』と言ったのです。
何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。
この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」 
(創世記44:18-34)
 
この時ユダは物怖じせず、エジプトの宰相たる権力者にも堂々と対応した大した勇気である。
「ベニヤミンがエジプトの宰相の奴隷にされてしまう、このままでは父が死んでしまう…」
そう確信したユダが、宰相ヨセフに近づき、命がけであったであろう交渉を引き受け、自ら進み出た。
 
ユダの丁寧な熱意のある言葉に揺り動かされ、ヨセフは声を上げて泣きじゃくり、とうとう正体を明かす。
(創世記45:2-3)
 
ヨセフもわざと身分を隠し、兄たちを試し、その中で兄たちの根本的な誠意を信頼したのだろう。
そして兄たちもやはり罪の呵責があったからこそ、驚いたけれど、やはり受け入れた。
 
成人したベニヤミンも幼少期以来、兄ヨセフのことはおぼろげな記憶しかわからなかっただろうし、父と同じく「野獣に噛み殺された」と認識していただろうから、改めて同じ母の兄に会うことができて、凄く嬉しかっただろう。
 
こうして、父ヤコブも「死んだと思っていた」息子が生きていると聞き、エジプトで感動の再会を果たす。(創世記46:29:30)
 
こうして、ヤコブ一家は総出でエジプトへ向かうこととなる。
 
イスラエルの回復
ところで現代社会において、ヨセフ*1及び8つの部族はは行方不明と以前にも書いた。
現代イスラエルにはユダとベニヤミン*2しかいない。
 
実はこの「ヴァイガッシュ」に記されている事項は、やがてくる終わりの日に、イスラエルの回復の際に再び起こるだろう、と思っている。
 
長子であるヨセフは未だに行方不明であり世界史上、そして現代社会においても、どこで何をしているかさっぱりわからない。
ヨセフと8部族は「失われた10部族」と呼ばれ、様々な説も浮上している
でも未だに確証はされていない。神の御手の中にしかない。
 
しかし、聖書を良く読めば、ハフタラ(預言書)にはもちろん、ブリットハダシャ(新約聖書)にも所々、ヨセフ回復、イスラエル回復預言が散りばめられている。
 
えっ?!そんなお伽話みたいなこと、新約にも書かれてんの?
などと我々は一瞬、疑問に持つかもしれない。
 
クリスチャンである我々は、全世界の人類の救いに関しては十二分に理解してるし、容易く理解できる。
しかし置換神学により、イスラエル回復についてはピンとこないのが正直なところであろう。
 
福音書は語る
「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
(中略)
天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 
 
ここで天使ガブリエルはハッキリと
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない
とマリアに告げている。
彼女もユダヤ教の教育を受けてきているだろうから、ヤコブの家という概念は理解していたはずである。
 
そしてもう一箇所の記述を紹介しよう。
「祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。
「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。 このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」 
彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。
「あなたがたは何も分かっていない。 一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」
これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。 
国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。 
この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。 
ヨハネによる福音書11:47-53)
 
散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言った
この言葉がまさしくそうなのである。
その日からユダヤ教指導者層にサタンが入り込み、イエシュアを殺してやろうと「確信した」わけなのだから。
 
イエシュアの贖罪は、全世界の人類のためともう一つ、散らされている「イスラエルの子たち」をもう一度集めるための2重の意味合いがあるのである。
 
これを理解しないと、本当の祝福は理解できないのだ。
ヨセフたちが現代イスラエルと合流して一つになる、即ち兄弟同士が仲直りをしないと、本当の祝福はこないのだ。
 
2800年前…紀元前8世紀の頃であろうか、イスラエル12部族の王国は北王朝(ヨセフと8部族)と南王朝(ユダとベニヤミン)とに喧嘩別れして以来、今もなお当時のままなのである。
 
しかし、いつの日か主の御旨は必ず実現する。
 
ユダを頭とする木と、ヨセフを頭とする木(エゼキエル書37:16)は、互いに近づけて一本の木となる時が必ずやってくる。
 
それはゼガリヤの語る通りの方法で
「ユダの家に力を与え、ヨセフの家を救う」(ゼガリヤ書10:6)ことになるであろう。
 
この時のようにヨセフが、ベニヤミンを見て自らの面影を思い出し、ユダが物怖じせず説得することで、自分たちのルーツを確信し、涙を流すことになるかもしれない。
過去のこの出来事と同じことが、近い将来起こるのである。
 
「讃える」という名の通り芸術、特に音楽を深く愛し、それでいながら獅子のように権力者の前でも物怖じせずに交渉する力強いユダ。
 
祝福の源である父ヤコブと魂で固く結ばれており、母ラケルや兄ヨセフを知らずして育ったが故に狼のように思慮深くなったベニヤミン。
 
そして部族にはカウントされないが、後にモーセを通し主のサポート役になった祭司レビ。
 
この3人はやがてユダヤ人となり、トーラーや聖文書を保持し記憶した。
波乱の世界史の表舞台において、彼らは差別や迫害に遭いながら生きてきた。
 
そして彼らユダヤ人はあらゆる伝承、もちろんヨセフのこと、兄弟達の事も立派に記憶してきている。トーラー朗読の度に再確認してきたのだ。
もう既にユダとベニヤミンがユダヤ人となり、神の御心を保持する使命が与えられているかのようだ。
 
来たるべき主の日がきたらヨセフは
ベニヤミンを見て「泣き」、ユダに説得されて自身を「自覚する」時が近いうち来るであろう。
その時が来ることを、そして仲直りすることを我々は祈るだけだ。

*1:ヨセフの2人息子であるマナセとエフライムがそれぞれ部族としてカウントされることになっているので、ヨセフは1人で「2部族」となっている(創世記48:5-6)

*2:レビは主に仕える祭司となり主のものとされたので、部族にはカウントしていない。ただしレビ一族が北王朝の万人祭司制に不満が募り、南王朝に合流した(歴代誌下11:13-14)