今週の朗読
ヨセフの夢
ヨセフが解き明かした夢については、ヨセフが牢屋に入れられ、同じ服役仲間であった給仕役の長と、料理役の長の見た夢に対して助言をしたことから話は始まる。
給仕役の長の夢はこんな夢であった。
「一本のぶどうの木が目の前に現れたのです。 そのぶどうの木には三本のつるがありました。それがみるみるうちに芽を出したかと思うと、すぐに花が咲き、ふさふさとしたぶどうが熟しました。 ファラオ*1の杯を手にしていたわたし(※給仕役)は、そのぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオにささげました。」(創世記40:9-11)
それに対するヨセフの解釈はこうだ。
三本のつるというのは三日のこと。三日後、ファラオは給仕役を元の地位に戻し、以前のようにファラオに杯を渡すことを許されるということというのだ。
その際、牢屋から出られるようにお願いしている。
また、料理役の長の夢はこんな夢であった。
「編んだ籠が三個わたし(※料理役)の頭の上にありました。いちばん上の籠には、料理役がファラオのために調えたいろいろな料理が入っていましたが、鳥がわたしの頭の上の籠からそれを食べているのです。 」(創世記40:16-17)
それに対するヨセフの解釈はこうだ。
三つのかごというのは三日のこと。三日後、ファラオは料理役を木につるして殺し、鳥が死体に群がるということだそうだ。
ところで、3日目はファラオの誕生日で、何のパフォーマンスなのか、その誕生日パーティーの席上、給仕役は元の職に戻り、料理役は木に吊るされた。
なんと、ヨセフの解き明かしの通りになってしまった。
が、給仕役は復帰した途端にヨセフのことを忘れてしまった。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とはこのことだ。
その出来事から2年の後、今度はファラオが不可解な夢を見てしまった。
ファラオがナイル川の岸に立っていると、ナイル川から、肉づきがよくて、つやのある雌牛が七頭上がってきて、葦の中で草を食べていた。すると、そのあとに 弱々しく、やせ細って、非常に醜い雌牛が七頭上がってきて、最初に上がった、肥えた雌牛七頭を食べてしまった。しかも、醜い牛は肥えた牛を食べたにもかかわらず、何も変わっていなかった。
一本の茎にとても豊かに実っている穂が七つあった。すると、東風に焼け、しなびた穂が七つ出てきて、豊かな穂をのみこんでしまった。
(創世記41:1-7)
その夢を解き明かせる者はファラオ側には誰一人いなかった。
この時、ようやく給仕役がヨセフのことを思い出した。
しかもファラオに呼び出されたヨセフは、即座にその夢の謎を解いた。
それによれば、エジプトにはこれから7年間の大豊作の時期があるが、その後には7年間の大飢饉がくるというのだ。
従って7年の豊作の間に十分に穀物を蓄えておく必要があるとヨセフはファラオに助言した。
ファラオは彼の賢さに感心し、ヨセフをエジプト全土の長官、いわば宰相として国の管理を全面的に委せたのである。
今の感覚で言うところの総理大臣であろうか、エジプトの経済をヨセフに一任されたのである。
これは見事な大出世である。
少年時代、ヨセフは夢を見る人であった。
いつの間にかファラオをはじめとする、他人の夢の解説者になっていた。
以前は夢見る人であったヨセフは、今や現実的、実際的な人になり、ファラオに次ぐ地位である宰相になってエジプトの経済を司る地位にいる。
ヨセフには経営者としての手腕、政治的な能力が備わっていたのだ。
よく巷に「できるビジネスマンになるには」「お金の作り方」等のHow to本が並んでいるが、そんなマニュアルで人間簡単には変わるはずない。
ヨセフのような「夢追い人」が、意外と現実的手腕、経済的能力があったりするのだ。
兄たちがイシュマエル人のキャラバンに自分を売ったときに受けた精神的な傷や、その後に続く宮廷役人の奥様による逆レイプによって罪無き囚人となったりした出来事全てが、ヨセフに大きな変化をもたらした。
ヨセフの経歴上に起きた変化と相まって、人格は変化していった。
ヨセフは自ら進んでエジプト社会に溶け込もうとし、ファラオからエジプト名「ツァフェナト・パネア*2」を頂き、改氏名も行った。
オンの祭司の娘アセナトとの結婚によって上流階級の仲間入りを果たし、今やエリートコースを突き進んでいる。
やがてアセナトとの間に長男マナセと、次男エフライムをもうける。
苦悩と父の家を忘れさせ(マナセ)、悩みの地で子孫を増やして(エフライム)くださったからだ。(創世記41:51-52)
自分の息子に対する命名からも垣間見えるが、このようにヨセフは自らの過去について、故国について、家族について一切考えたくなかったし、思い出したくもなかったに違いない。
エジプトの地で手に入れた幸せは、このまま続くかのように思われた。
夢の通り7年の飢饉が到来し、困窮した兄たちがヨセフの前に突然、出現するまでは。
兄たちとの再会
いよいよ飢饉はエジプト中を覆い、更には近隣エリアにも及んでいった。
ヤコブファミリーが住んでいたカナン地方も飢饉によって、食物に困窮していった。そこで父とベニヤミンを除き、ヤコブの子10人が食物を買いにエジプトへ下る。
エジプトへ到着した10人は早速、穀物を買いに行く。
そこにいたのは監督官ヨセフ。
ヨセフは一目で兄たちと気付いた。
が、知らない振りをし、しかも兄たちを試そうとする(創世記42:7)。
当然、10人の兄たちは目の前にいる販売責任者がヨセフであるとは夢にも思わない。
ヨセフはキャラバンに売った後、エジプトやリビア、あるいはクシュ*3の地で奴隷になっているとしか思ってなかっただろう。まさか権力者になっているとは結びつかない。
一方、ヨセフは兄たちと知ってながら、敢えて他人の振りを装った。
装っただけではなく「回し者」と言う表現を使用し、兄たちを試すという行為に出た。
ヨセフの要求はこういう内容だ。
弟ベニヤミンをエジプトの宰相の下へ連れてくること
それまで兄シメオンを拉致監禁するということ
(創世記42:18-20、42:24)
兄たちも「弟ヨセフのことで罰を受けている」とさすがに良心の呵責を感じ取っている(創世記42:21)。
そこら辺の心理はイスラエルの選びの民であることを証明している。
しかし、兄たちもここまでヨセフに問い詰められながら、それでもヨセフ本人とは気付かなかったのである。
ヨセフはヘブライ語を解していたのであろうが、間には通訳もいたし、穀物の販売責任者名はヨセフではなく「ツァフェナト・パネア」で通知していたであろうから、気付かないのも当然だろう。
ヨセフは兄たちと一目で見抜いたとき、どのような気持ちでいたのだろう。
かつてヨセフは兄たちに疎まれ、殺されかけられた。
命まで奪うことはされなかったものの、キャラバンへ売られ、不遇の青年時代を過ごしてきた。
その気持ちを瞬時に思い出した。
そして、あの時見た夢をも思い出した。目の前で「兄さんたちの束」(創世記37:7)が平伏しているではないか。
そこでヨセフは兄たちの気持ちを確かめるため、このような行為に出たのであろう。
あと個人的な感情であろうが唯一の弟、失踪当時はおそらく2歳か3歳であり、しかもあの事件に関与していないベニヤミンにも会いたいって気持ちもあったのかもしれない。
ヨセフは地位も名誉も獲得した。
その今、ようやく家族との再会へ軸が動きつつある。
イスラエルは一致団結しないといけない。
この続きは次週の朗読、ヴァイガッシュへ引き継がれる。