神と人との間で…オオカミのつぶやき

ユダヤの魂を持った、クリスチャン

10の災い

トーラーには不思議な出来事が多々記されている。
その中には、主が自然の営みによって起こり得る様々な事象も含まれている。

そのうちの1つである「エジプトの10の災い」は、今回、イスラエルがエジプトの奴隷の軛から解放されるべく、主が腕を伸ばし、大いなる審判によってエジプトの地に下した事象である。

我々の住んでいる地上目線で見たら、これこそが異常気象によって連鎖で引き起こされた、10の「災い」と感じるのである。

 
これまでも神は幾度も自然現象を利用し、「異常気象」という形で、地上に大いなる審判を下している。
例えば、全世界に洪水を起こさせたり(創世記6:1-8:1)、また硫黄を降らせ悪徳の町ソドムを滅ぼしたりしている(創世記19)

今回、イスラエルの奴隷の軛に対するエジプトへの審判である、この10の事象がエジプト人にとって「災い」となり、決定的にイスラエルが脱出する直接のきっかけとなる。


まず、主はモーセに語る
見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう。
しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。
わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。

出エジプト記7:1-7:5)

神はモーセに語り、それを口下手なモーセに代わり、兄であるアロンが代弁者になるという。
今後、モーセとアロン兄弟はペアになり、このスタイルでイスラエル全体を導き、贖う役目を担うことになる。

まずその第一段階として、主が約束されたとおり、ファラオの面前でアロンの持っている杖を蛇に変えた。
出エジプト記7:10)

しかし、ファラオ側は魔術師が同じ技を行い、しかもアロンの蛇を飲み込んでしまう。
「なんだ、魔術師のの蛇がお前たちの蛇を飲み込んだじゃないか、フン。馬鹿者目が」
ファラオはそう思ったに違いない。勝ち誇ったのは当然であろう。
出エジプト記7:12-13)

ところが、このことも主は十分にお見通しであり、解っていたのだ。

このファラオが負けを認めないからこそ、10もの異常気象および、それにより引き起こされる被害が立て続けに起こり、それがエジプトにとっては大きな「災い」となり痛手になるのである。

1.血の災い
彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。 川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。
出エジプト記7:20-21)

主はモーセを通してアロンに命じたのが、ナイル川に杖を打つということだ。

これは「赤潮」という自然現象だといわれている。
ある種の「藻」が大量発生することで毒素が生まれ、魚はその毒素によって出血死をするので、結果、川は赤く血に染まる事となる。
このような「赤潮」は比較的、栄養が豊富で暖かい環境、そして日光、これらの条件が必須となるのだが、これらの要因は温暖で農耕に適したエジプトには揃っている。
更に川の流れが穏やかな場所、淡水と海水が混ざる場所が「赤潮」が発生しやすい所となるのだが、イスラエルの民が住んでいたゴシェンの地と呼ばれるナイルデルタ地帯は、地中海から内部30kmくらいのところにあるので、ナイル川が血に染まる条件はすべて揃っているのである。

ナイル川は7月に水量がピークに達するので(増水期)、たびたびブランクトンの異常発生のため赤みを帯びるようになり、そのせいで魚が死に、腐って血が漂い、悪臭を放つという。

しかし「魔術師も秘術を用いて同じ事を行った」とトーラーが語る通り、この現象はエジプトでは度々起こっていた自然現象だろうと予測されることから、ファラオも半信半疑となった。
主が仰せになったとおりである。
出エジプト記7:22-23)

2.蛙の災い
アロンがエジプトの水の上に手を差し伸べると、蛙が這い上がってきてエジプトの国を覆った。
出エジプト記8:2)

第1の災い「血の災い」すなわち「赤潮」が発生し、魚の大量死と腐敗が始まると、今度はナイル川に多く生息していた蛙にとって極めて不快な環境となり、そのような状況を避けようとして川から離れ、えさを求めて昆虫を引き寄せる灯の方へと自然に寄って行くので、エジプト人の家屋に沢山の蛙が侵入してきたのだろうと思われる。

この蛙はアオガエルで、当時のエジプトに普通に生息していたようである。
象形文字「10万」という数字はカエルの絵で表されており、また神話の世界では生産と繁殖の女神として登場する程、蛙はエジプト人にとって身近な動物だったである。

しかし一旦、民を去らせるよう約束するも、その後大量の蛙が死に絶えると、またまたファラオは頑迷になった。
出エジプト記8:4-11)
 
3.ぶよの災い
アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はエジプト全土に広がって人と家畜を襲った。
出エジプト記8:13)

陸に上った蛙の群が死んで腐る出エジプト記8:10)と、今度はそれを卵床にしたぶよがいっせいに孵化する。
「ブヨ」の原語「ケン」「ケンナム」には、蚊も含んでいる。

ぶよは蚊と同様、人にも家畜にも付き、吸血する衛生害虫である。

4.あぶの災い
主がそのとおり行われたので、あぶの大群がファラオの王宮や家臣の家に入り、エジプトの全土に及んだ。
出エジプト記8:20)

あぶも第3の災いと同じく、主に川や水辺に生息しており、ぶよと同じく蛙の群を卵床にして大量発生したのだろう。
主に豚や牛の血を好んで吸うようだが、これらの動物が居なければ人間にも襲い掛かってくる。
あぶの活動期間は7~9月なので、第1の災いから連続して進行していることがわかる。

このように腐敗した大量の魚の死骸(第1)と蛙の突然の減少(第2)によって、当然、エジプトに元々生息していたぶよやあぶが大量発生してもなんら不思議ではないのである。

しかしファラオはまたもや助けを求め、モーセが祈って民の間から害虫がいなくなったとたん、また元の考えに戻ってしまった。
出エジプト記8:21-28)

5.疫病の災い
翌日、主はこのことを行われたので、エジプト人の家畜は全部死んだが、イスラエルの人々の家畜は一頭も死ななかった。
出エジプト記9:6)

ぶよ(第3)やあぶ(第4)は、しばしば伝染病の流行をもたらすといわれている。

「アフリカ馬病」と「ブルータング病(青舌病)」の病原体であるウイルスの感染を媒介する“(※)Culicoides midges”という種のぶよがいて、そのぶよが感染源となった。

(※)英語のページにリンクします。ぶよ、ハエの一種です。リンク先には写真が掲載されてますので、気持ち悪くなる方は、閲覧しないようお願いします

それらのウイルスは聖書に書かれているように、馬や牛のようなひずめのある哺乳類を死なせる疫病であるという出エジプト記9:3)

ただ、川からかなり離れて住んでいたイスラエル人の家畜には主の仰せの通り、まったく影響がなかった。出エジプト8:7)

6.はれ物の災い
二人はかまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれをファラオの前で天に向かってまき散らした。 すると、膿の出るはれ物が人と家畜に生じた。
出エジプト記9:10)

この腫れ物であるが、申命記にヒントがある。
主は、エジプトのはれ物、潰瘍、できもの、皮癬などであなたを打たれ、あなたはいやされることはない。
(中略)
主は悪いはれ物を両膝や腿に生じさせ、あなたはいやされることはない。それはあなたの足の裏から頭のてっぺんまで増え広がる。(申命記28:27-35)

この「エジプトのはれ物」は最初に足に症状が現れ、それから、体全体に広がって行く皮膚病として、申命記に描かれている。
可能性のある病原体として、人間と動物の両方にこの腫れ物を引き起こすバクテリアが存在するのだそうだが、そのバクテリアは「サシバエ」と呼ばれるぶよによって媒介されるという。
第3、第4の災いである虫の大量発生を踏まえれば「サシバエ」の大量発生も同じ理由で説明できる。
しかしこの時代は医学も未発達であり、容易にこのような伝染病が流行していたので、ファラオはビクともしなかったようだ。
出エジプト記8:12)

7.雹の災い
モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主は雷と雹を下され、稲妻が大地に向かって走った。主はエジプトの地に雹を降らせられた。 雹が降り、その間を絶え間なく稲妻が走った。それははなはだ激しく、このような雹が降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。
出エジプト記9:23-24)

雹と雷は、激しい上昇気流を持つ積乱雲内で生成され、落ちてくる。
この積乱雲という対流性の雲は、大気の安定が破れて不安定になった時に発達する。
で、大気の安定が破れ、この雲が発達する原因をいくつか挙げると、

 1.上空寒気(寒冷渦や気圧の谷)の存在
 2.日射などの影響による大気下層の温度上昇
 3.他地域からの湿り気を帯びた空気の移流
 4.寒冷前線の通過時

またトーラーによると芽が出ようとしている亜麻と大麦は壊滅的になり、より遅い小麦と裸麦は回復できる状態であったという。

エジプトの農耕カレンダーも考慮すると、雹の嵐は1月末から3月初め頃に起きたと推定される。

エジプトはケッペンの気候区分*1では乾燥帯・砂漠気候*2であるのだが、ナイルデルタ地方は水量も豊富なので、大気中の水量もやや多くなる傾向にあるといわれている。
この大気中のわずかな水分が雨、雪、あられ、雹などの降水、あるいは露となり大地に戻るのである。
そのような嵐の被害は局地的なので、被害地より数キロ離れたイスラエル人たちは無事だったことは何も不思議ではない。

8.いなごの災い
モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んできた。 いなごはエジプト全土を覆い、エジプトの領土全体にとどまった
出エジプト記10:13-14)

トーラーの記述では、一日中吹いた強い東風に運ばれたいなごの大群として描かれている。
前日の嵐(第7)で土がまだ濡れていたので、卵を産むいなごにとっては、それが絶好の場所となったはずである。
しかも第7の災いもエジプト人の住む場所のみの局地的な嵐だったので、その被害地である、濡れている砂質の土壌にいなごが集中するはずである。

しかもいなごは、何らかの理由で食べ物が急減すると攻撃型に変態して大群で長距離を飛行するという特性があるという。
結果、嵐の被害地だった場所の農作物を荒らし回り、普段は食べないような葉っぱまで食べる様になる出エジプト記10:15)。

この現象は1月~3月頃が多いようであり、中東でも際立って水が豊富で肥沃なエジプトでは普通にあった害だという。

9.暗闇の災い
モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。
出エジプト記10:22)

暗闇はハムシン風*3によって砂漠地帯では簡単に起こる現象だそうである。
この風は熱気とともに、砂と微細な塵を運んでくるのが特徴で、エジプトでは、舞い上がる砂塵はだんだんと少なくなるので、普通は季節の最初の砂塵嵐が一番ひどいものとなるという。
そのため「手に感じるほど」の暗闇と感じるのである。

3日続いたというのは非常に珍しい事であるが、この現象はサハラ地帯では格別起きないというわけでもないらしい。

このハムシン風、年の最初は通常3月に起こるとされる。
なので、続く最後の災いが過越祭の時期である4月に起こるという事象とも一致している。

10.最後の災い
真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、 また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起きあがった。
出エジプト記12:29-30)

エジプト人は7月から続く天災およびそれにより引き起こされた被害により、その年の食料の蓄えが極端に不足していただろうと思われる。雹の嵐の後に、被害にあったつぶされた大麦の粒をなるべく収穫しようとした。

言うまでもなくその大麦は濡れていて、カビが発生しやすい状態であった。

ある種のカビは通常、胞子として常在している。
しかし、育つ環境が整えば、カビが発芽して「マイコトキシン」と呼ばれている猛毒を作り出すといわれている。
食料に困り自暴自棄となったエジプト人が、空の倉庫に濡れた大麦の粒を入れた直後、経験したことのない激しい暗闇(第9)の故に、三日間家に閉じこもってしまったことが十分考えられるので、その間に、命を奪うほどの強い「マイコトキシン」が大麦に発生してしまったのだろうと推測される。
現代でも、そのような汚染されている穀物を食べて多くの人が急死した例が度々ある。

それでなぜ「初子の死」に繋がったのか。
それは、初子にだけ食べさせたからではないかと考えられる。
当時の社会では長男の特権は多いのが常識で、最初に食べさせてもらえ、また「二倍の分け前」が与えられた。
というわけで、暗闇のために三日間も食べられない状態から解放された後に、窮地に追いやられたエジプト人が、最初に食べ物を長男に優先的に与えたと想像しても不合理なことではないのである。

しかも死亡したのが深夜出エジプト記12:29)というのは、乾燥帯特有の気温の急激な降下が死の引き金になったせいかもしれない。

 

以上がトーラーの記述に基づいた、10の災いの検証である。

自然科学の分野からトーラーを観察してみたら、神の審判と自然科学が一致した
何しろ、今のように気象学も自然科学も未知の時代である。
天気予報がなかった時代、このような突然変異は民衆からはまさしく「神の審判」ととられていたわけなのである。

天象を知り操れる人は「奇跡」を起こすと思われていた。
エジプトの魔術師が第1〜第4の災いを操れたのも、魔術でも何でもなく、自然摂理の知識があったのではないかと思われる(当時は学問もないから具体的な理論は知らなかっただろうが)。

ところでトーラーを読んでると、モーセやアロンが何かしらの行動を取った途端に、突然天気が変化したり、害虫や疫病が蔓延したりしたことが記されている。
自然現象だから、被害は徐々に広がった・・・ではあるのだが。

トーラーにある通り、モーセは常に主からメッセージを受けていたので、ここのタイミングでそれを行う・・・というような嗅覚というべきか、感覚はあったのかもしれない。

動物には天気の変化を事前に察知して、行動する習性があるとされる。
よくつばめや猫がそのことを指摘されるが、その感覚は元来、人間にもあるとされている。

今後出てくる「紅海が2つに割れた」「岩から水が湧き出た」とかもそうだが、そう考えるとモーセは事前に自然の変化、自然現象を本能的に察知する感覚が、人並み以上にあったのかもしれない
とすれば、現在的な視点でみれば、モーセには気象予報士の能力があっただろうか。

だからこそ(!)その能力を踏まえ、主はイスラエルの贖いを遂行する役目にモーセをお選びになったのかもしれないのだ

今のように自然科学が常識として当たり前の時代だと、なかなかこれが神の審判であるとは思えないだろう。
しかし、主は天地を創造されたお方である。何でもお出来になる。

自然科学は人間側が自然現象を解明するのに役立ってるにすぎない。むしろ、自然科学や気象学という学問も主からの恩恵ではないのか。
このような自然現象を目の当たりにして、主のなさろうとすることを読み取るのが「信仰」であるのだ

トーラーの世界は決してお伽話の世界ではなく、現実世界に起こってる事象を記していると教えられる。

自然現象を主が用い、全体的にエジプト全土を被害へ導いたことは、結果、天災によるエジプトへの審判であったわけだ。

このような異常気象およびそれにより引き起こされた二次被害による、主が下した審判はエジプト側から見たら一時的な「災い」であるが、イスラエル側から見たら、これこそが大いなる「救い」であり、主の御手に拠る「贖い」となったわけである。

*1:ドイツの気候学者V・P・ケッペンが1923年に考案した気候区分。大まかには熱帯・乾燥帯・温帯・亜寒帯・寒帯の5つの区分から構成される。

*2:年間を通して降水量が少なく、植物がほとんど育たない砂漠となるが、水源のある地域には気温に応じた植物が群生する。日較差が非常に大きく、日中と夜の温度差が激しいのが特徴。

*3:英:Hamsin、アラビア語エジプト方言: خمسين (khamsīn) 北アフリカアラビア半島で吹く、砂塵嵐を伴った乾燥した高温風のこと。カムシンとも呼ばれる。地方風の1種で、シムーンシロッコと類似した現象である。