今週の朗読
ブリットハダシャ:ローマの信徒への手紙10:1-21
トーラーの第二の書の冒頭に、
イスラエルの子らがエジプトで苦しむ奴隷状況が語られている。
ヨセフを代表とする
イスラエルの一家は下エジプトのゴシェンの地に住み着き、そして一家はいつしか「民族」となっていった。
トーラーの第二の書であるこの書、初期のギリシア語70人訳聖書の中で「
出エジプト記」という名称が与えられた。
それから後、この名称がすべての欧州語の聖書に採用されていった。
ユダヤの伝統においては、この書の表題は「シェモット」として知られている。
シェモットとは「名前」という意味で、書の最初の一部「ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下った
イスラエルの子らの名前は次のとおりである」
(出エジプト記1:1)から由来している。
しかし古代には
ユダヤ人も
ヘブライ語で「セフェル・イェツィアット・ミツライム(
出エジプトの書)」とか「セフェル・ハゲウラー(贖いの書)」とか呼んだという証拠がある。
おそらくギリシア語70人訳に最初に訳した時に「セフェル・イェツィアット・ミツライム(
出エジプトの書)」を採択してしまい、訳してしまったのだろうと思われる。
この第二の書に与えられた「シェモット」「
出エジプト記」とも、単なる名称ではない。
この書が、
イスラエル12部族のリストで始まっているという事実は、エジプトの奴隷からの解放と贖いの過程で、それら兄弟たちの名前が重要な役目を担っていたことを示している。
名前の中に何があるのか。
イスラエルの子らが一つとしてまとまり、一つの「民族」として団結し、奴隷から解放され、主の契約を成就させる第一歩となったことは大きい。
そして、
イスラエルの兄弟たちがエジプトの地においても
イスラエルの名前を保持していたからに他ならない。
その時、
イスラエル12部族の名前が重要な役割を担っていた。
前にも述べたが、
イスラエルにとってエジプトは「故郷にあらず」であり、しかもヤコブやヨセフも遺言として、いつの日か神がカナンの地へ導き帰らせてくださると一族に告げている
(創世記48:21、50:24)。
ヤコブやヨセフの最後の言葉を信じていたのであろうか。
その後
イスラエル一家、いや
イスラエル民族はエジプト社会の真っ只中において自らの伝統である
ヘブライ式の「名前」を変えることなく、社会に適用させてきた。
「名前」はそれを授けた人の願いや志向とともにその持ち主の人格をも表現する。
エジプト社会の一員となれば、
イスラエル一家も「郷に入れば郷に従え」の如くエジプト式の名を名乗ってもよかったはずである。
しかし、敢えてそうしなかった。なぜか。
「必ず先祖に誓われた土地へ導いて下さる」というヤコブやヨセフの遺言が、いつしか一家、ひいては一族の伝統となり、エジプト社会の中で習慣化されたからに他ならない。
従ってルベンはルベン、シメオンはシメオン、レビはレビ・・・のままなのである
(出エジプト記6:14-25)。
あと「名前」を保持するもう一つの要因として、ヨセフ時代と比べ、その後400年間でのエジプト社会の変化によるところも大きいかもしれない。
ヨセフ時代のエジプトは第16王朝期であり、「ヒクソス」と呼ばれるシリア・
パレスチナ系
*1の一部族、アモリ人が打ち立てた王朝が支配していたと言われている。
アモリ人とは宗教文化はかなり違うけれど、イスラエル一族とは言わば同じ地域の住民だったので生活文化は似てた部分も多かったのだろう。
ヘブライ人であるヨセフが登用しやすかったのも、そこの部分もあるのかもしれない。
しかしエジプト側から見れば、ヨセフを起用した時のファラオは異民族のファラオだと映っていたわけだ。
その後、テーベを中心とするエジプト人勢力に巻き返され、第17王朝(=第18王朝)が成立し、エジプトは空前の最盛期を迎える。
テレビ番組「
世界ふしぎ発見!」とかで取りあげられるのは、ほとんどがこの時期のエジプトである。
話を元に戻そう。
奴隷という屈辱的な立場において、自分達のルーツ、引いてはアブラハム伝来の契約(とはいえ覚えてたのは一部だけで大部分はいちいち覚えてなかったかもしれないが)を守るため、あくまで寄留地であるエジプトと一線を画すために「名前」にこだわり続けたかもしれない。
当然、名前も欧米風のクリスチャンネーム
*2でなく、
ヘブライ名で呼ばれ継承される。
つまり「ポール」ではなく「シャウル」であり、「ジュリアン」でなく「デイビッド」、「チャールズ」ではなく「サムエル」なのである。
周りと決して同化せず
ヘブライ名(あるいは
ユダヤ性)を守るという姿勢には、しばしば批判もあるが、しかし長い目で見ると、
これこそが主との約束を果たす素地となっているのである。
このトーラーの第二の書を貫いている中心テーマは奴隷状態からの「脱出」ないし「贖い」であるが、この
イスラエル12部族の名前が示す通り、イスラエルの真の脱出であり、また彼らを通して全世界の贖いの基礎となるのだ。
神なる主の名前
今回の「シェモット」の朗読箇所には、
イスラエルの子らの名前と合わせてもう一つ重要な「名前」が語られている。
主なる神御自身の名前、聖なる御名である。
それは
イスラエルの民である
モーセが、神の山ホレブにおいて主なる神と顔を合わせて出会い、主からエジプトから贖うよう召命されることから物語は始まる。
モーセは
イスラエルの一員レビの家系であるが、エジプトで
ファラオから容疑を持たれた事情もあり、当時はミディアン
*3の地で家庭を持ち、定住していた。
ある日、
モーセがふとした事から、神の山ホレブへ来た。
その時
モーセの目の前で見たものは、柴の間に燃え上がっている炎であった。
彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
モーセがまじまじと燃える柴を眺めてたら、突然何者かに話しかけられた。
「はい」
「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。
わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」
な、なんと!その声は神であった。
神は燃え尽きることのない柴の中から
モーセに語りかけていたのだ!
当然である。『神を見るものは死ぬ』と言われているからだ。
主は言われた。
「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 (中略)
今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
モーセは、
へ?!まさかこの自分に?!と思ったに違いない。
しかも神ご自身からの要望を背負い、そして民全体を脱出させるわけだから。
もし民が「主がお前などに現れるはずがない」と言って、信用しないと思った。
それに対し神はしるしを以って応じるとした
(出エジプト記4:1-9)。
また「その神の名は一体何か」と聞かれるかもしれないとも懸念して直接尋ねている。
そういう質問をぶつけられるかもしれないって
モーセが思うほど、当時の社会は
多神教が当たり前で、幾多の神々が名前を持っているというのが常識だったわけである。
「わたしはある。わたしはあるという者だ」
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
そして神は続けて語る
「
イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。
これこそ、とこしえにわたしの名
これこそ、世々にわたしの呼び名」
神ご自身、
モーセに顔と顔を合わせて現れ、御名を明かし、
イスラエルの民を率いて約束の地へ導くようお願いされた。
その上「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。
(出エジプト記6:3)」と神が語る通り、今までは全能の神として現れていただけだったが、
モーセに始めて「神」である聖なる御名を知らせたのだった。
アブラハム契約が、ここで更に一歩進み、より実行段階に入ろうとする瞬間である。
ちなみに
ユダヤの伝承によれば「ある」という動詞からきたこの言葉より、以下のような意味にも捉えられてきている。
- 「わたしは在りて在るものである」
- 「わたしは実在するものである」
- 「わたしはありありと目の前に在り、在られるものである」
などの解釈である。
その名前が示す通り、神は唯一の存在である。
そもそも「神」に固有名詞である「名前」が与えられたのは、社会にいろんな「神」が増えてしまい、その「神」の存在を区別するために付けられたに過ぎない。
我々には馬鹿馬鹿しくてそう思えないが、当時の社会において「バアル」と「オシリス」を間違えては、現代人が個人情報保護法を破るのと同じ位、一大事だったわけなのだ。
唯一の存在であれば、名前で区別する必要性はない。
「神」は一人しかおられないのだから。
当時、神にも人間と同じく名前があるものだという社会認識から言えば、常識を覆すことであった。
ちなみにこの聖なる御名であるが、ヘブライ語では4つの子音のみの記載しか残されていない。
ヘブライ文字では「יהוה」(読み方はユッド・ヘー・ヴァヴ・ヘー)であり、ローマ文字に書き換えると「YHWH」となる。
通称「神聖4文字」(英:The tetragrammaton 、ギリシア語:τετραγράμματον)と呼ばれる。
この子音だけの言葉に母音を差し込んで読むとされており、中世よりイェホヴァ(Jehovah)と呼ばれていたが、近年の研究によって復元された原音に基づいて、現在ではヤハウェ(Yahweh) と読むのが主流となっている。
過去においては一年に一度ヨムキプール
*4の日に大祭司が神殿、しかも至聖所の中でしか発することができなかったらしい。
しかしユダ王国が滅亡し、
バビロニア補囚から第二神殿
*5期に入ると、やがて聖書
ヘブライ語が日常言語として死語になり、
「יהוה」の正確な発音は消失したとされている。
しかし、ユダヤ人は「יהוה」を「主」という意味合いの「アドナイ(אֲדֹנָי)」あるいは「ハシェム(הַשֵּׁם)」と読み替える。
もちろん「
主の名をみだりに唱えてはならない」
(出エジプト記20:17、申命記5:11) とトーラーにあるからである。
時代が下り、ギリシア語70人訳聖書でも翻訳の際、「主」を意味するキュリオス (Κύριος)と訳され、各語に翻訳され現在に至る。
従ってクリスチャンも「主」もしくはイエシュアに倣い「天の父」と表現する。
同じ「シェモット」でも、イスラエルの12人の兄弟の名前は選ばれた民として地上の贖いを実行するべく第一歩のしるしであり、また聖なる御方の名前はいと高き天に座す唯一かつ絶対者であることの証である。
私は、
モーセが「主が顔と顔を合わせて選び出された
(申命記34:10)」預言者であった一番の資格は、
何より主を畏れ、遜る信仰であると思っている。
あんなに口酸っぱく主に説得されても、なお
モーセは自分には相応しくないと思って断っているのだ。
「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
さらに
「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
実際、主なる神がそれに対して苛立ちを感じている。
しかし
主の眼からしたらこれほどまでに主を畏れ、かつ謙虚だったからこそ、モーセを召命したわけである。
これが自分から謙虚なフリして名乗り出て、神の御名をみだりに使用し、霊的に鼻高々な人だったら、主は絶対に召命しないと思う。
信仰も同じである。
先生はよく、アメリカのメシアニック集会の
ユダヤ人が
選ばれた民が故の上から目線で接する事を例に挙げ、「
信仰に対して選ばれた者と勘違いしないで、神の前で遜った者になりなさい」というが、全くその通りだと思う。
信仰も持つと自ずと解ってくるようになってきた。
遜り、そして畏れを以って神と対面することが大事なことであるのかと。
その気持ちを持つようになると、主の御名はとても恐れ多くて直接口にはできないと感じてくる。
それほどまでに、神である「主」は偉大であり、聖なるお方である。